塾長挨拶

進学塾 STUDIA(スターディア)

いつの時代にも適応できる、不変的な自信をつけたい学生へ

塾長挨拶

 HPをご覧いただきありがとうございます。進学塾STUDIA塾長の隅と申します。ご挨拶もかねて、私の経歴や教育観念、開塾に至った経緯などをご紹介いたします。少し長くなりますが、ご一読いただけますと幸いです。

 私は小中高と姫路で過ごし、高校は地区トップの高校を卒業し、大学では医学を専門に学び首席で卒業、国家資格を持つ医療人に加え、大手学習塾・中規模個別指導塾・家庭教師と指導歴10年の講師・塾経営をしております。

 そんな私ですが、学生時代は塾に行ったこともない塾嫌いな学生でした。塾に行く目的は成績を上げるためであり、成績を上げるには欲望に負けず自分を律して勉強するしかなく、誰かに強制されて勉強するくらいなら自分で強制して勉強したほうが良いと考え、独学で成績を上げる方法を模索し、それなりに思い通りの結果を残せてきました。しかし一方で、今思えば結果的に無駄な思考や行動があり、多大な迷惑を家族や周りの人にかけることもありました。

 そんな塾嫌いで必要性も感じなかった私がなぜ開塾しようと考えたのか。その答えは、生徒たちにもっと素直で本質的な学びをしてもらいたいと考えたからです。本質的な学びとは、上記のような恣意的な学びよりも、「自信・感謝・誠実さ」に裏打ちされた学びのことを指し、かつ汎用性があるものだと考えます。過去の私のように他人に依存しない学びは、確かに自立心は育める効果的な側面はありますが、一方で多くの時間と労力という代償を払ううえに、排他的で協調性に欠ける側面が色濃く表れます。玉石混交の周りの人の助言や指導、様々な人とのコミュニケーションの中でもっと思考力や価値ある失敗を得て可能性を伸ばせたのではないか。効率性や個人主義だけでなく、非効率や協調性などの要素によって逆に長期的な視点での効率性や人間性を高められたのではないか。長年、多くの生徒さんを指導する中で強く自覚してきました。現代は、AIの発達やSNSの普及、洗練された参考書や問題集が気軽に手に入るゆえ、知識それ自体の相対的価値は低くなり、考えるという思考力が奪われる極めて危険な時代でもあります。そこでこれからの未来を担う生徒さん全てに、「自発的に好奇心をもって多角的に考え抜く力」を養い、「孤独と闘いながらもいつも希望は捨てない前向きな自信」、「支えてくれている周りの方々への感謝」を持ちながら貴重な青春時代を歩んでほしいと考え、その理想のもと開塾する運びとなりました。

 勉強は本来的に孤独なものです。しかし一方で、学べることは贅沢なことでもあります。学ぶことで、世の中の事象を理解し、堪能できることはこの上ない贅沢の一つです。そこに副次的に、学歴や地位、優秀な仲間などがもれなくついてくるとなれば、勉強とは最高にコストパフォーマンスに優れた存在ではないでしょうか。孤独で難解、強制的にやらされるというデメリットの印象が強い勉強ですが、冷静に考えればメリットしかありません。私は、塾生には学べる贅沢を知り、努力によって自信を身に付け、学ばせてくれる周囲の方への感謝を忘れない、そんな時代に影響されない本質を捉え行動できる誠実な人になってほしいと切に願っております。そして学生の成長にとって非常に大切なことの1つとして、学生諸君の「受け身ではなく自発的な学習のうえでの疑問点解消法を求めてくる姿勢」は成長に必要不可欠です。思考した上で疑問点の解消法を求めてこない学生に何を教えても極めて非効率な「やらされている学び」になります。ですのでSTUDIAでは、能動的学習の徹底をお伝えしたいと考えています。

 私たち教育者や保護者の方々など、本人以外の人ができることはあくまで生徒さんの応援・サポートでしかありません。しかし全力でサポートする、いつでも生徒さんに寄り添い理解し、どんなときでも決して結果が出るまで諦めない、そんな家族の一員のような温かい指導を心がけたいといつも考えております。小さなことから始め、わずかな変化を大切に、大きな変化に導きたい。

 常日頃、私自身これで良いのかとあらゆる事柄に対して自問自答し、より良き方向性を模索しています。当然、至らないことも多々あり、生徒さんや保護者の方から学ばされることが毎回あります。これは本当にありがたいことであり、共に成長させていただいております。そしてこの喜び・感謝の気持ちを具体的な結果としてあらわし、責任を果たしたいと考えております。

 まだ出会わぬ生徒さん・保護者の皆さまとご縁があることを心から願っております。

 たいへん冗長で長い駄文をここまでお読みいただき誠にありがとうございます。

進学塾 STUDIA

塾長 隅 周平

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